ある日の記憶
「食」を愛する藤岡ともみが 日々心震わせるささやかな出来事を綴ります。
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gurikku 

Author:gurikku 
今だから問われるリアルな食。
本当に「美味しい」ってなんだろう?
ただの美食追求ではなく、愛おしく想う気持ちを大切に
食のあるシーンを演出していきたいと思っております。
人見知りで口下手な私ですが(笑)
「食」を介して誰かと出会えることが今一番の幸せです!!



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「おいしい」と「あんぜん」の距離。
巷に。

これでもか、これでもかというほどに
「おいしい」ものが溢れている。

見た目の美しさ、
香り、味、
クオリティの高さは
どんどん進化している。

むしろ、
「まずい」と思うものを見つけるほうが難しいくらい。


ただ、
一方で
過熱する
「安心、安全」。

もちろん、
おいしさの大前提。

食は
ダイレクトに命の問題。


様々なライフスタイルの人々が
遠く離れたところで作られたものを口にするには、
徹底されなければいけないこと。

その為に
努力が相当に行われている。

ただ。

その「作り手」と「食べ手」の距離が遠くて。


心も見えなくて。


過度になってしまうこと。



心の芯にまで沁み入る「おいしい」には
いつも、温もりがある。
気配がある。

当然、
そこには
「安心してどうか食べれますように」
という安全を汲みした祈りがあり、
そこに感じられるのは、
心と身体に寄り添い作ってくれた人の気配。


でも、
距離が離れ過ぎると
「安全」というお守りがいつしか
緊迫感に。
「食べ手」と「作り手」が互いを牽制し合うような緊張感。

それがまた、
少しのぶれさえも許さないという循環を産み、
徹底の上に徹底が積み重なっていく。


おいしいと、
安全が、
分断されていく。

そうして作られたたべものは
どこか「ツクリモノ」のように感じられ、
どんなに
麗しい見た目で、それなりに美味しいと思っても

食べ終わってから、
何かふと
虚しさを感じるときがある。


人が「美味しい」と思うことは
どういうことなのか。


今一度
考えさせられる
食ブームの行く末。

DSCN7213.jpg
DSCN7222.jpg

兄家族から秋の恵みをいただく。

茶褐色の艶の美しさ。
手触り。
ころりとした可愛らしいカタチ。

自然の作るデザインの秀逸さ。

しばし見惚れ。

台所で黙々と作業するほどに
心は森の奥深くに沈んでいくような。
穏やかなとき。

鶏と合わせた煮物に仕立て、
実家の皆が集う食卓へ。

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声を。
声を聞きたい。

歌声。
話す声。
ささやく声。
笑い合う声。
共鳴しあう声。

その
声帯を震わせ、
空気を伝って
あなたの思いが
この空間に発せられる
生の声。

この空間の空気を震わせて
伝わってくるそれを。

その人の
持っているもの、
そして、
過ごしてきた全てが
その声色になって。

伝わってくる。

この身の奥深くに。

癒してくれる声。
励ましてくれる声。
楽しませてくれる声。
とろける声。
優しい声。
夢中にさせる声。
激しさにも情が滲んでいる声。


その声。

周りの人の声は
みんなそれぞれ
本当に本当に
いい声。

魂から響く
人を幸せに誘う声ばかり。


SNSだけでは、
どういう顔をして、
どういう声で、
その言葉が発せられているのか、
画面からだけでは
分からないのだ。


その顔と出会って
その目を見て


あなたの声を
私は聞きたい。

DSCN6049.jpg

桃のコンポートと白ワインジュレ。

出会い、
触れ合えると、
この身の内に
直接聞こえる声もある。

それに気づき、
呼応出来た時は
嬉しい。


出会い。と。別れ。と。それから。
出会いという事実。

それが、どんなカタチであろうとも、
出会ったのだ。

出会って、触れた。

その人に。
そのものに。
その空気に。
そこにある絶対的な存在に。

そして、
別れも中にはある。

それすべて。

いつしか、
次のジブンのイチブ。

幸せな瞬間も
苦しく切ない瞬間も

痛いもの
複雑なもの

大人になるほどに
難しくこんがらかり、
ざわめく心
揺れてぶれる心は、
カタチを変えていく。

そうして、
ひとときの気分や気持ちを越えて

いつしか
その人やものや出来事は
この心身に溶け込み、融合し、
細胞になっている。

それが
その人の歩んで行く人生という名のもの。

それ故に
どんなことも
たった一人で成し遂げてなどいないし、出来ないと言う事実。

ジブンは
出会ったすべての塊。

だから、
今日も
どんな小さな出来事にも
敢えて
揺れる。

それを何度も自身の中で
咀嚼して、
密やかに変化していく。

すべてを抱えて
潔く
次の出会いと別れへと。

DSCN9929.jpg

ニラのシンプル炒め。

シンプル好き。

と、こういう料理するとその時は思うのだ。

けれど、
やはりカオスも好きで。

潔さと面白さと

いろんなカタチが愛おしい。


出来たことの喜び。
出来た。

歩くことが出来た。

握ることが出来た。

しゃべることが出来た。

食べることが出来た。

描くことが出来た。

伝えられることが出来た。


出来た。出来た。


初めて出来たことの
あの最上の喜び。


そんな「出来た」喜びを
私たちは
次々と忘れていく。


そして、
貪欲に
次へ次へ
更に出来ることを増やすために
進む。
進む。

忘れないと次の新しいものが入らないから
人には「忘れる」機能がある。


でも。


時々思い出さないと。


「出来た」ことが「当たり前」になっていることのすごさを思い出さないと。


思いがけず
つまずく。

前のめりすぎて
転んで、
時には
スタート地点に戻ってしまうような衝撃も受けてしまう。

「出来た」ことへの感謝を思い出させるために
それら「つまづき」はやってくる。


走ることが出来た。

叫ぶことが出来た。

夏の音を聞くことが出来た。

泣くことが出来た。

笑うことが出来た。

青空を見上げることが出来た。


出来た出来た。


今日も
出来たことがたくさん。

DSCN5725.jpg
DSCN5757.jpg
DSCN5733.jpg
DSCN5737.jpg

今年の初夏のいただきもの。

杏と梅。

夏仕事。させていただく喜び。



人件費。
家で料理を始めたころ。

食材を買って作る。

外で食べる同じような料理の値段より
相当少ないお金で作れて
驚愕する。

疑問が生まれる。

なぜ、こんなにも値段が違うのか。

特に
手間はかかるけれど、
食材の量は驚く程ちょびっとで
そんなものほど
外食では高い。


もちろん
今では分かること。

人件費。

手間賃。


でも改めて

人の手がすることの価値は
高いのだということ。

どんどん効率化されて
人の手に変わる機械やロボットが
どんどん開発され
利益を産み出している。

その進化は
何かを助けていることはとてもよく分かる。

けれど。

だからこそ、

人の手で作られた料理への
感動という価値があがっている気がする。

ひとつひとつ。

この手が作る。

季節の食材を
手にとり、感じ、選び

手に馴染み
調理に適した器具を用意し

切る。
捌く。
晒す。

こねる。
すり潰す。
包む。
握る。

炒める。
蒸す。
茹でる。
焼く。
煮る。

微細な変化に気づく。
昨日までに経験してきたことが
今日に生きる。

ひとつの身体と心で紡ぎ出す。

その時々のすべてを五感で考えて
その時々の答えを出す。

食べてくれる人の
表情を見て、
心を知りたいと思って
答えを出す。

食器を選び
盛りつけ

食卓へ。

人ひとりの存在が
どれだけの複雑なことを紡ぎ出せるかを
書き出すと改めて驚愕する。

すべての工程に
手が介していることが

この先
きっと
どんどん
美味しさの価値を上にあげていく気がする。

DSCN0023.jpg

春野菜のキッシュ。

義姉と兄からいただいた器で。

オーブンの癖を知ったりして
焼いて。

何気なくやっていることも
こうして
新しい器をいただけると
色々アイデアが溢れてくる。