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ある日の記憶
「食」を愛する藤岡ともみが 日々心震わせるささやかな出来事を綴ります。
プロフィール

gurikku 

Author:gurikku 
今だから問われるリアルな食。
本当に「美味しい」ってなんだろう?
ただの美食追求ではなく、愛おしく想う気持ちを大切に
食のあるシーンを演出していきたいと思っております。
人見知りで口下手な私ですが(笑)
「食」を介して誰かと出会えることが今一番の幸せです!!



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影。
幻影。
軌跡のようなもの。

抱えている。

ここにないのに
それでも確かに
ここにあるもの。

この身の芯にしんと沈んで
私を内から支えているもの。

そんなものがある。

それは、
出会わなければなかったもの。

会えなくなって強くなったもの。

そんなことが
私を生かして
次に出会う誰かへのエネルギーになっていく。

生きるを続けなければ分からなかった感覚。

こんなことを
呆れるほどに飽くことなく
繰り返すのだろう。

そうして、やがて
ひとつのカタチが作られていくのだろう。

それが、今はまだ分からないとしても。

そもそも、この私のカタチさえ
本当にあるかどうのかさえ
宇宙規模ではあやふやだけれども。


自分の影は踏めない。

踏めなくて、追いかけていた。

そんなことを
あの頃からずっと続けている。

これから先もずっとずっと。

IMG_3401.jpg

卯の花。

いつから好きになったのだろうか。

居酒屋のつきだしだったか。

家では出てこなかった。

親が好きじゃないものは、なかなか食卓にのぼらない。

だから、
20代以降に
知って
好きになったものは
数知れず。

でも
それでもやはり
根っこは

遺伝子が知っている何か。




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自分の持っていないもの。
当たり前といえば当たり前なのだが。

自分にはないものが
他の人にはある。

それに触れるたびに
感動するし、
尊敬してしまう。

なぜそんなことができてしまうのだろう。

歳は、本当に関係ない。

密度の濃さ。
または、抱えてきたものの大きさ。

そんな一瞬一瞬が
今、私の目の前にいる人を創って
こんなにも感動を与えてくれている。

そのことに
私は日々心から驚愕してしまうのだ。

どれだけの努力をしたの。
どれだけ耐え抜いてきたの。
どれだけ自分を乗り越えてきたの。

そう思ってしまう。

目を見て
笑顔を見て
そこに心も
時には魂のようなものも透けて見えて
泣いてしまう。

すごいって思って
泣いてしまうのだ。

そして
力をいただいて

こんな自分も
まだまだこんな自分を抱えて生きていくべきだと
思う。

DSC00002.jpg

グアバ。

沖縄のお庭から採れたものをいただいた。

思ったよりもずっとさっぱりしていて。

この後、鶏肉と合わせたらマリアージュ。

食の感動も尽きない。


月。
のようでありたい。

そう思う。

周りには
太陽のような存在がいっぱいで。

人を温めてくれる、熱くしてくれる、
そんなエネルギーを持ち得る人たち。

それだけの努力と
それだけの自信を備え、
それを開け放ち、
分け与えられるような。

もちろん
日々、自身とも向き合い、
その上で周りにパワーを与えられられるだけのなにがしかを持っている。

前は
憧れるばかりで。

だからと言って
本当にそうなりたいと思ったら、もっと努力していた。

いろんな変遷はあったけれど。

今は腑に落ちている。

ずっと月でありたいと。
思っていたのだと。

それは。

大好きなおばあちゃんがそうだったから。

そのおばあちゃんにどれだけ救われていたかの記憶が染み込んでいるから。

そして、
それが、今の等身大の自分なんだと分かる。

そんな立ち位置で
できることって。

ただ。
いること。

いることの意味。

例えば。

自身のパワーで燃え尽きてしまいそうな人、
そのパワーをどうすればいいのか、戸惑い、迷い、
逆にそのことで傷ついている人、

もしくは
順風満帆でも、
光を開け放つだけではバランスを取れないところに

寄り添っていたい。

昼の月のように
見えないようなくらいの時もあって
それでも
いるよってそれだけ意思表示して

もし、何かあったら
ここで泣きなよ。泣いちゃいなよ。

くらいの。

もちろん
日々は響き合って笑い合っている。

笑って、泣いて。
与えられるものはないけれど
ここにいることはできる。

自分はパワーが足りないから
その人たちから光をもらって

夜という少しの時間だけ
灯火を。

去る者は追わず。
求められるところへ。

そんな位置が。

私のいる場所。

それ以上でも以下でもない。

ただぶれずに。

どんな日でも。
どんな時代でも。

ただただ。

いるということを続けられる存在になるための。
努力をする。

今はそんな日々。

IMG_2236.jpg

塩豚と大豆と野菜の蒸し物。

肉のエキスと野菜のエキスが相乗効果で美味しくなる。

単体でも成り立つかもしれないけれど。

どちらかだけだと、何かちょっと物足りない。
出会えば、こんなに美味しい。

そんな世界がいいな。


賢いひと。
経験を積み、
感覚を育て、
勘が鋭くて、
知恵があり、
状況や時代のせいなどにせず、
自分も他人も信じることで、力を最大限に発揮できる。

地味に見えるような日々に努力を怠らず
咄嗟の時や
判断力の速さが
すこぶるいい。

身と心に
生きてきた変遷が染み込んで
それを存分に生かして
いま
その瞬間の行動が出来るひと。
知識は、そこにしっかり根を張ってついていく。


頭がいい。
とはちょっと違うかも。
頭がいいは、ニュアンスにもよるけれど、
頭脳の思考回路が常人では考えられないような構造になっている気がする。
この世にないものをズバズバと創造していけるような天才肌な。

だから、頭がいい方が賢い道を歩むと最強なのかも。

どちらも
鈍臭くて不器用な私にはないもので
憧れる。

でも、憧れるだけでなくて
目指したい。
賢い人の生き様を見習いたい。

といっても
「カシコク」なりたいから
何かをするのではなくて

愚鈍であろうと
日々
動いて
色々考えて

心と身体がなかなか一致しないことに
もがいていたところから
ある時
何かがすっと見えてきて。

それが
また独りよがりではなくて。

誰かに
ちゃんと伝えたいことが
伝えられて
伝わったかなと
なにがしかの手応えが感じられることが。

机上で終わらなくてよかったって。

思えたら。いいと。

もっとタフにならなくちゃいけない。

尊敬する方々は、くよくよとか、そんなことしている暇あったら動いている。

やはり続けることが強いのだと。


賢いなあ、センスいいんだなあ、すごいなあ、かっこいいなあっていう人がいる。

そういう人は
確実に
毎日をちゃんと生きている。

人と交わって
たくさんたくさん考えて
行動して
生きている。

ちゃんと
いろんなことを
直視している。


そういう人は
歳関係なくて。
尊敬してしまう。


行動できるひと。

失敗も含め
経験から学んで
愚痴とか嫉妬とかそういうのを言う暇もなく
今を懸命に進んでいく人。

偏差値とか
学歴とか
会社のブランドとか
プライドとか

そういうのではない次元の人達が
周りにたくさんいる。

IMG_0764.jpg

塩イカと夏野菜のマリネ。

塩イカとは。
信州の伝統の保存食。

海がない地域での昔ながらの保存法。

知らずにいた。
叔母にいただいて最近知った。

塩漬けにされたイカは旨味がぎゅっとなって美味しい。

こういう知恵を持っている人々に尊敬を抱く。

おばあちゃんになっても
キラキラ輝いている人に憧れる。
そうでありたい。

上記の話とは矛盾するように見えるかもしれないけれど。

ある歳になったら、
逆に身につけてたいたものをどんどん剥がしていって
純粋に還りたい。

きっとそこから見えることもあると。


泣くという行為。
泣きたくなる夜。

何か特別起こったというわけではないのだけれど。

ちょっとしたきっかけで、
いつしか
押さえていた感情が
満ちてきてしまっていたのだと気づく。

理性で生きることは大切。
本能とのバランスで。

それが、オトナになっていく課程。
そこから生まれるものの大きさを知っている。

でも。
それでも。

コドモのように
本能が
やはり、どうしても悲しいと思って
思っていたことが
理性を超える。

脳裏に蘇ることごと。
抗えない事実。

しょうがないことと思っても。
涙は溢れる。


でも。
これが大切なのだ。

涙が浄化するとはよく言ったもの。

流れていく
悔しさ、悲しさ。

もしかしたら、嫉妬みたいなものまで、
まだ含まれているのかもしれない。

未熟。

でも。
そこから
また歩み出せるための儀式だと。

そう思いながら
思いっきり泣こう。
泣いてしまおう。

泣いて、
また明日を迎えるのだ。
笑顔で。

IMG_1470.jpg

肉じゃが。

どんな時でも、
ご飯を食べる。

食べると
どんな時でも
心が整う。
ほっとする。
心がしんとして、
穏やかになり、
悲しみなんかずっと遠くへ。
全てがリセットされ、
平常心へと。

食べる。

すごい力。