ある日の記憶
「食」を愛する藤岡ともみが 日々心震わせるささやかな出来事を綴ります。
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gurikku 

Author:gurikku 
今だから問われるリアルな食。
本当に「美味しい」ってなんだろう?
ただの美食追求ではなく、愛おしく想う気持ちを大切に
食のあるシーンを演出していきたいと思っております。
人見知りで口下手な私ですが(笑)
「食」を介して誰かと出会えることが今一番の幸せです!!



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出会い。と。別れ。と。それから。
出会いという事実。

それが、どんなカタチであろうとも、
出会ったのだ。

出会って、触れた。

その人に。
そのものに。
その空気に。
そこにある絶対的な存在に。

そして、
別れも中にはある。

それすべて。

いつしか、
次のジブンのイチブ。

幸せな瞬間も
苦しく切ない瞬間も

痛いもの
複雑なもの

大人になるほどに
難しくこんがらかり、
ざわめく心
揺れてぶれる心は、
カタチを変えていく。

そうして、
ひとときの気分や気持ちを越えて

いつしか
その人やものや出来事は
この心身に溶け込み、融合し、
細胞になっている。

それが
その人の歩んで行く人生という名のもの。

それ故に
どんなことも
たった一人で成し遂げてなどいないし、出来ないと言う事実。

ジブンは
出会ったすべての塊。

だから、
今日も
どんな小さな出来事にも
敢えて
揺れる。

それを何度も自身の中で
咀嚼して、
密やかに変化していく。

すべてを抱えて
潔く
次の出会いと別れへと。

DSCN9929.jpg

ニラのシンプル炒め。

シンプル好き。

と、こういう料理するとその時は思うのだ。

けれど、
やはりカオスも好きで。

潔さと面白さと

いろんなカタチが愛おしい。

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出来たことの喜び。
出来た。

歩くことが出来た。

握ることが出来た。

しゃべることが出来た。

食べることが出来た。

描くことが出来た。

伝えられることが出来た。


出来た。出来た。


初めて出来たことの
あの最上の喜び。


そんな「出来た」喜びを
私たちは
次々と忘れていく。


そして、
貪欲に
次へ次へ
更に出来ることを増やすために
進む。
進む。

忘れないと次の新しいものが入らないから
人には「忘れる」機能がある。


でも。


時々思い出さないと。


「出来た」ことが「当たり前」になっていることのすごさを思い出さないと。


思いがけず
つまずく。

前のめりすぎて
転んで、
時には
スタート地点に戻ってしまうような衝撃も受けてしまう。

「出来た」ことへの感謝を思い出させるために
それら「つまづき」はやってくる。


走ることが出来た。

叫ぶことが出来た。

夏の音を聞くことが出来た。

泣くことが出来た。

笑うことが出来た。

青空を見上げることが出来た。


出来た出来た。


今日も
出来たことがたくさん。

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今年の初夏のいただきもの。

杏と梅。

夏仕事。させていただく喜び。



人件費。
家で料理を始めたころ。

食材を買って作る。

外で食べる同じような料理の値段より
相当少ないお金で作れて
驚愕する。

疑問が生まれる。

なぜ、こんなにも値段が違うのか。

特に
手間はかかるけれど、
食材の量は驚く程ちょびっとで
そんなものほど
外食では高い。


もちろん
今では分かること。

人件費。

手間賃。


でも改めて

人の手がすることの価値は
高いのだということ。

どんどん効率化されて
人の手に変わる機械やロボットが
どんどん開発され
利益を産み出している。

その進化は
何かを助けていることはとてもよく分かる。

けれど。

だからこそ、

人の手で作られた料理への
感動という価値があがっている気がする。

ひとつひとつ。

この手が作る。

季節の食材を
手にとり、感じ、選び

手に馴染み
調理に適した器具を用意し

切る。
捌く。
晒す。

こねる。
すり潰す。
包む。
握る。

炒める。
蒸す。
茹でる。
焼く。
煮る。

微細な変化に気づく。
昨日までに経験してきたことが
今日に生きる。

ひとつの身体と心で紡ぎ出す。

その時々のすべてを五感で考えて
その時々の答えを出す。

食べてくれる人の
表情を見て、
心を知りたいと思って
答えを出す。

食器を選び
盛りつけ

食卓へ。

人ひとりの存在が
どれだけの複雑なことを紡ぎ出せるかを
書き出すと改めて驚愕する。

すべての工程に
手が介していることが

この先
きっと
どんどん
美味しさの価値を上にあげていく気がする。

DSCN0023.jpg

春野菜のキッシュ。

義姉と兄からいただいた器で。

オーブンの癖を知ったりして
焼いて。

何気なくやっていることも
こうして
新しい器をいただけると
色々アイデアが溢れてくる。


夢の叶いかた。
10歳まで。
毎日、一瞬が、すべて、なにもかも
ワクワクの連続だった。

憧れにときめき、夢を見て、早く次へ、その次へ
前のめりだった。

でも、
もう3年、もう5年生きて来てしまった。
まだまだこれからだというのに、
そんな風に思って、追い立てられるように焦ったりする気持ちを抱えていた。

10代。
焦っていた。
なにもかも新しくて楽しいけれど、
どこか、憤りと悲しみに囚われる。
もう10代。だと。
焦っていた。

20代。
焦っていた。
周りと比べてばかりで、たくさんの大切なことを見失っていた。
もう20代。だと。
焦りまくっていた。

30代。
焦っていた。
なにかの延長線上で。
もう30代。だと。


けれど、
少しずつ
捨てざるを得なかったもの、諦めてきたことへの肯定感、
そんな開放感のようなものが
何かからの恐怖を払拭し始める。

でも、
やはり
焦っていた。


そして。
いま。
40代。

焦って、いない。

生まれて初めて
「まだ40代」
と思えている。

そして
夢が叶っている。


それは
先日、友人宅へ招いていただいた時のこと。

春のとてもとても穏やかな日。
桜が前日の雨で、少しだけ葉桜になり始めたうららかな一日のこと。

持ち寄りごはんをして、
ただただ他愛無い話をし、
近くの大きな公園に
壮大な桜木々を愛でつつ、
桜見したり、遊んだりする人々を眺め
ゆったりと、ただゆったりと散歩し、
少しずつ傾く陽に当たる。

また友人宅に戻り、
お茶をして、他愛無い話は続き、
帰り道は
駅まで見送ってもらいながら、
また住宅街を散策する。


デジャブかと思うほど。

夢見てきた
穏やかな幸せ。

そう、
「シアワセ」と

こゝろの底から思ったのだ。

なんの駆け引きも
自分とも
外界とも
なにもない

あの
10代までの頃との楽しさとは違う
今でないと得られない
幸せが

そこにあった。

そんな夢は。

他人からしたら
どうしようもないただの日常。

でも。

私の人生にとっては。


人生ってなんなのか。

いまだに分からずにいる。


でも。

自分が幸せと思って、
それを誰かと分かち合いたいと思って

カタチはちがっても
それを源にして頑張れることが

何かに繋がると。

はっきり
しっかり
思えた。

そんな日。

幸せが目に滲む。

まだ40。

これからが楽しみで仕方ない。


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暮しの手帖。
暮らしの手帖。

に書かれていたことば。

「創刊から、一環して取り組んできたこと。

戦争を経て
<人間らしく生きる>には
どうしたらよいか。

それをひとつの形にしていうと、
住いのなかで一番大切な場所は台所と茶の間であるという考え、
これを号数をかさねてゆく、その間じゅうをつらぬいている考え方だということ」

「幸せな暮らしがあれば戦争は二度と起こらないはずだ」

胸をつかれる。


戦争を知らず、
ある意味、温室のような
些細な悩みで時間を費やせる時代に生き、
日々は、
淡々と出来ることをただ淡々と
繰り返していると
ふと
隣の庭の華やかさに
これでいいのだろうかと焦り、
ちゃんと生きているのかを自問自答してしまうことがある。

でも、
ぶれないことは、
やはり「暮らしが、誰かにとって、しあわせで心地よいものでありますように」
「それが、積み重なり、その人の人生となりますように」
ということが根っこにあって一瞬一瞬を生きていて、

それが
肯定された気持ちになると
こゝろ穏やかになり
今を、この静けさを大切に紡ごうと思えてくる。

暮らしの手帖に書かれた
本当に細やかな記事たち。

冒頭にある
「これは あなたの手帖です
いろいろなことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底深く沈んで
いつか あなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です」

ヤガテ ココロノソコフカクシズンデ
イツカ アナタノクラシカタヲカエテシマウ

ああ、
それは、
私が、出会ったすべての人から、ものから、この地からいただいてきたもので
そうして、息を繋いできたから、
誰かのそういうひとつになれればと
生きている。


それでいいのだと。

背中に手のひらを優しく添わせていただいている心地で。

きっと
またふと
自分の命の使い方の甘さに
自戒してしまう瞬間もあるだろうけれど、

そういう時は
この言葉にきっと救われるのだろう。

出会えてよかった。

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ニラのオリーブオイル炒め。
ホタルイカと菜の花のアンチョビ炒め。
鶏手羽中とキャベツのスープ。

最近のごはんは、
どんどん削ぎ落とされ
食材の旨味そのものだけでいただくことが多い。

終りと始まりの同居する春は、特に、染み渡る。